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NHK時計

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2006年12月31日 (日)

消費者=主婦?

「賢い主婦はスーパーで手前に並んでいる古い牛乳を買う」・・・日本新聞協会が募集した「新聞広告クリエーティブコンテスト」の最優秀賞に選ばれた作品だそうです(中日新聞社社説による)。

 発案者のおっしゃりたいことは分かります。スーパーでは買う側からみて手前に古い牛乳が並びます。賞味期限までに(いや、傷む前に、と表現したほうが妥当でしょうか)充分飲み切れる範囲内で、できるだけ古い牛乳を買ったほうが、社会全体の牛乳の廃棄量が少なくて済む、ということですね。私もその趣旨には賛成です。

 でも、私はこの文を読んで、引っかかるものを感じてしまいました。今やいろんな生活者がいるはず。パックの牛乳とて、一家の主婦が買うとは限らない。なのに、投稿した人は「主婦」という言葉をわざわざ使っている。これって、「一家の大黒柱たる夫が稼ぎ、妻が主婦として生活を守る」というパターンの固定概念を拡大再生産させることになるんじゃないの?・・・私自身が「結婚せずにおこう」と思った独身者だけに、余計に気になります。

 ジェンダーという言葉がいわれてだいぶ経ちます。生物学的特徴以外の「男らしさ」「女らしさ」のことを指します。生物学的特徴でないだけに、単なる社会の思い込みではないか、女性をはじめとする性差別につながっているのではないか、という指摘が、私が大学生だった1990年前後に既にいわれています。私も同じ疑問を持っています。

 でも、当時から思っています。ジェンダーに対する思いに限らないことですが、変わっていく人はずいぶん変わっていきますけど、変わらない人は全く変わらないんだな、って。学問もマスコミも最先端しか追いかけず、追いかける先はたいてい都会にありますので、やむを得ない面もあるのですが。でも、物事を疑ってみることって、青年期に限らずとても大切なことだと思うんですけどね。おそらく今回の投稿者も、このあたりを全く考えずに投稿したのでしょう。考えない分だけ、パターンに沿わない人が生きづらくなる、ということに気づいていないのでしょうか。

 日常生活でも何でも、物事がいかに多様であるかを踏まえながら過ごすだけで、どれだけ多くの差別が解消に向かうでしょうか。ぜひ一人でも多くの人に考えてほしいことです。

 ついでにいえば、私が小学校で家庭科を習ったときよく耳にした「かしこい消費者」という言葉も、大学の頃に古いといわれました。生活者として受身の立場でしかないからだそうです。なるほど、アクションを起こす人もいますもんね。

2006年12月30日 (土)

高校化学の想い出

 多くのブログは年末年始で休みになったり、時期柄の話題を書いたりしてますが、このブログはそういうことなしにゆきたいと思います。

 私にとって高校時代は人生でいちばんどん底で、成績も人間関係もひどいものでしたが、先生方はとても面白いというか個性的な方々ばかりでした。「英語は世界でいちばん多く話されている言葉」と校長がしゃべった全校集会の後の授業で、社会科の先生が「一番世界で話す人口が多いのは中国語だ」と言って生徒が沸いたこともありました。

 化学の先生も面白かったですよ。当時の化学ではボルタの電池、ダニエル電池、乾電池の3つが出てきていたのですが(たぶん今もそうでしょう)、ボルタの電池・ダニエル電池について説明した後、乾電池の項に入って「別に中国人の乾さんが発明したわけじゃないでね」と言ってました。(後の2つは考案者の名前からきています。)

 化学は高校のとき最も苦手な科目でしたが、いま内容を見返してみると不思議なことにとても面白いですね。それと、私が使っていた参考書の「化学を学ぶ諸君へ」というはしがきには、文学部出身で鯉の養殖を始めた人がこの参考書で化学を1から勉強し、ついに鯉の糖尿病を発見、国際糖尿病学会で特別公演をするまでになった話が収録されており、とても印象に残っています。物事って常に多くの人に開かれているものなんですね。

2006年12月29日 (金)

三州瓦、アメックスと提携

 岐阜県で育ち現在名古屋在住ながら、大学時代に鳥取市にいた私にとって、先日うれしいニュースが流れました。

 皆さんは三州瓦ってご存知でしょうか。15年くらい前には植木等さん出演のCM(「イチ、ニ、サン、シュウ!」)が全国ネットで流れてましたし、今の30代以上の東海地方出身の方なら、「♪サン・サン・三州、陶器がーわーら~」というCMをご存知でしょう。三州というのは三河、つまり愛知県のうち旧三河国のことを指します。

 この三州瓦のメーカーの最大手が鶴弥という会社なのですが、鶴弥がアメックスとこの20日に提携調印するというのです。

 「なんでアメックスが山陰と関係あるんだ?」という方も多いことでしょう。実はここでいうアメックスというのは、アメリカンエ○スプレスカードのことではありません。石州瓦(つまり島根県の旧石見(いわみ)国特産の瓦)を製造・販売している株式会社アメックス協販と提携したのです。山陰ではTSK(山陰中央テレビ)のゴールデン枠を中心にCMをよく流してます(山陰では他に「石州セラミカ」のCMもよく見ます)。

 日本の粘土瓦は3大産地でシェア9割を占める中、よく東海と山陰とで組んでくれたものです。製造と販売とで互いに協力し合うとのことで、また新たな文化が生まれるかもしれません。どんな交流が生まれるかとても楽しみです。

 このニュースも、双方のローカルニュースになった他は、日経系のマイナー情報として取り上げられたくらいで、いわゆる全国ニュースというほどのものにはならなかったんですけどね。

2006年12月25日 (月)

カノッサの屈辱

毎年クリスマスには、服部克久「想い出のクリスマス」を聴くことにしています。これは本来のクリスマスに近い静かな曲ながらとても味わい深い曲に仕上がっているわりに、殆ど知られていない曲。そういう選曲をするところが私らしいと思っています。

 ところが、この曲が収録されているアルバムが「音楽畑5」で、放っておくと次の「夕陽」という曲に進んでしまいます。そんなわけで、この曲をテーマソングにしていたテレビ番組「カノッサの屈辱」を思い出してしまうのも毎年の常と化しております。

 「カノッサの屈辱」をご存知の方はどれくらいおいででしょうか。バブルの頃に若者向け映画をヒットさせ、「テレパル」の連載「酒とビデオの日々」や某漫画雑誌の若者向けトレンドの連載もされてたホイチョイプロダクションが制作に関わった、歴史のパロディで流通史を語る番組で、深夜番組でした。そのセンスに毎回笑いながら脱帽してました。

 例えばアイスクリームの歴史では、ソフトクリーム系とそれ以外とに分け、前者をソフィスト派、後者をストア派と呼びました。「幕末ビール戦争」ではキリン幕府(麦酒)が実権を握っていた頃からドライ戦争を経てビールメーカー同士の競争の激化をとらえてましたが、ラガーから生ビールへの嗜好の移りを「生類(なまるい)哀れみの令」と呼んだり、ドライ戦争がやや沈静化したときのCMで「私はドライではありません」と言った発言のことを「生麦事件」と呼んでみたり。とにかく、元ネタの引用のうまさが印象的でした。

 番組のつくりも雰囲気も、NHKの教養番組ないし高校講座の完全なパクリ。そういう至ってまじめな雰囲気の中で上記ジョークが展開されるのですから、もうおかしくてたまりません。ただ民放の宿命で中途CMだけは入れねばなりませんので、この前後で「基礎力を確かめよう」というミニクイズのコーナーがありました。また番組の内容を収録した本も発売され、今でも私の手元にあります。

 フジテレビ制作でしたが、関西ではサンテレビなど独立U局でネットされてました。私が当時いた山陰ではフジの半年後にスタートしたので、フジテレビでの「休講」がずいぶん飛んでました。教授役を務めた仲谷昇さんは先ごろ亡くなりましたね。

 この番組の終了後は「TVブックメーカー」という番組になりました(山陰は未放映で、東海地方に帰省したときに一度見た)。これは放送する時点でまだ結果の分からないイベントの結果について予想するもので、貨幣?の単位がカノッサだったのが前の番組とのつながりを思い出させます。が、東海地方ではフジテレビより2週遅れての放送で、フジテレビでの放送時点では分からないはずの結果が東海で放送される頃には分かってしまっており、ものすごく興ざめでした。日本では原則として、同時ネットされない番組はコストの高いラインでなく、ゆうパックや業者といった安い物流で送られ、内容を検討しCMを入れたうえで放送されるので、1週間弱くらいのタイムラグは生じるのが当たり前なんですが、こういう番組については特例でラインで送ってもいいのではと思いました。

 これらの番組を面白くごらんになった方はおいでなのかなぁ?

2006年12月16日 (土)

特に洋楽ファンだった方へ

えー、NHK教育「ピタゴラスイッチ」(ミニを含む)をご存知の方で、20年ほど前に3大都市圏近辺にお住まいだった方。

「アルゴリズムたいそう」を見て、「SONY MUSIC TV」のオープニングを思い出すだなんて、私だけでしょうか。

2006年12月15日 (金)

「かじか」の由来

 どうして私が「かじか」を名乗っているか、まだ書いてないですね。今回はその点をお話ししましょう。

 岐阜県出身の私は大卒ですが、大学時代に鳥取市におりました。鳥取市にはいま2つ大学がありますが、当時は1つしかなく(当時は山形県と並んで全国最下位でしたが、私の卒業と同時に山形県に2つ目の大学が出来、単独最下位になりました)、鳥取の大学を出た、というと、どの大学か特定されてしまいます。これが東京だとそうはいかないですね。

 私が鳥取市に来る前年、ふるさと岐阜県西美濃地方を離れるとき、以前ダムに沈むことが決まっていた徳山村からの全村離村が完了し、隣の藤橋村に編入されました(最近揖斐川町となる)。そして、私が鳥取県にいる間になってから、旧徳山村にいたカジカガエルが、このままではダムに水没する運命になってしまう、鳥取県三朝に移されることになりました。このことは双方のローカルニュースにはなりましたが、全国ネットのニュースには当然なりませんでした。

 私が鳥取県にいるときに、岐阜県しかも同じ西美濃からやってくるものがいるとは。しかも、ホームページには書いたのですが、私は鳥取県に来たのを機会に、地方を「地方」というくくりだけで見ず互いの違いを見出すべきだと思うようになり、卒論にまでした者です。それなら、カジカガエルを西美濃(岐阜県)と鳥取県との架け橋の象徴にしよう、と思い立ったのです。サラリーマンの転勤族なら地方どうし移動することはあるでしょうけど、県庁所在地レベルが多いでしょうし、「地方←→東京」軸に比べればはるかに少数派のはずです。

 地方は単なる情緒と自然との供給所でもなければ、単なるふるさとだけの存在でもありません。それだけではやってゆけないのです。殊に、ここ数年の政府の地方政策で、やってゆけない度が高くなっています。

 各地域に新たな視点を提供するために、都会だけでなく様々な地域をみていく必要があるのではないか・・・私は「かじか」にそんな思いも込めています。

2006年12月14日 (木)

語録・12月13日

創業支援の講座を受けていたのですが、13日に受講者の何人かが創業計画の発表をしました。

発表がすべて終わり、その後聴いていた講師の一人が講評のとき、冒頭で一言。

「『マネーの虎』だと、ここで札束がポンと出てくるんですけど・・・」

聴いてた人々は大爆笑! ま、今放送中でない番組をネタにしたのがかえってよかったんじゃないでしょうか。

2006年12月13日 (水)

昼の出来事

12日の昼は喫茶店のランチにしました。このところあんまりやらないのですが・・・

入ったところがあんまり安くない店で、いつの間にかコーヒーつきにしてました。980円也。

食べ終わってゆっくりして、さあ出ようと思ってお会計。1000円札を出したら・・・

「20円のお返しです」と渡された硬貨を見ると、なんと110円入ってる。

店の人が間違って、100円玉と10円玉を1個ずつ渡してしまったのだ。

ふところ寂しい折、よほどそのまま店を出ようと思ったのですが・・・

さすがにそういうわけにはいかず、「110円ですよ」と指摘して交換してもらいました。

店の人はたぶん「なんで10円玉を入れるところに100円玉が入ってたんだろ?」と思ったのでしょうね。

2006年12月12日 (火)

「神戸」の紹介

 きょうは、私が育った町についてご案内しましょう。神戸といっても、あのルミナリエの神戸市でなく、岐阜県の神戸町(ごうどちょう)です。そうそう、断っておきますが、私は生まれてから社会人になってしばらくまで神戸町で住民登録されてますが、生まれた場所は愛知県の母の実家近くですので、「出身は?」と聞かれると岐阜県というべきか愛知県というべきか迷います。

 神戸町は岐阜県という単位でみると南西部にありますが、私の世代の感覚からすると、むしろ濃尾平野の北西の端近くといったほうが近いです。もともと美濃は文化が尾張に近いうえ、テレビやラジオの電波も名古屋と同じものが名古屋方面から届きますし、名古屋などの恩恵で過疎地でもないので、途中で県境があることのほうが不思議なくらいです。(平野を30分ちょっと走った一宮が別の県で、山奥へ2時間ほど入ったところにある父のふるさと郡上が岐阜県というのも感覚的には解せません。)面積はたった18平方キロ強、5キロ四方におさまります。人口は2万人ちょっとです。

 皆さんは社会科で最澄(伝教大師)という人を習ったと思います。この人は平安期に新しい仏教を開き比叡山延暦寺の開祖となった人ですが、この人が東のほうへ旅立ったときに、今でいう神戸町エリアの有力者と出会い、この地の多くが荘園(これも社会科で習いましたね)として延暦寺に寄進されると同時に、いろいろな寺社ができました。(初めのきっかけは何でも、この有力者・安八太夫安次(あんぱちだゆうやすつぐ)の娘が重病だったのが、最澄が祈ったら治ってしまったことによるそうです。)これら寺社の中で、特に延暦寺の滋賀県側のふもとにある日吉大社の系列・日吉神社の門前町として明治の初めまで栄えました。

 今でも神戸山王まつりという、松明に火を灯した人と計7つのみこしをかついだ人とが深夜などに走るという祭りが行われています。明治からつい最近までは4月13・14日に行われていましたが、今は5月3・4日に変更されています。この祭りと日吉神社は町のシンボルです。他に、関ヶ原の戦いの直前、家康が今の町内に入りかけたとき銃撃されたという噂が残っています(真偽は不明ですが、事実だったけど緘口令がしかれた可能性も)。

 でもふだんの神戸町はもっと静かです。・・・というか、1970年頃までは本当にのどかな農村でした。でも、私が物心つく直前くらいに、土地改良とモータリゼーション進行があって、住宅が数多く建設され、大垣や岐阜市の郊外として大発展しました。いえ、郊外ですので自然も都会よりはけっこう多かったんですけど、私の小さい頃はあちこちでコンクリート業者による田んぼでの砂利取りがあちこちで行われ、のどかというわけでもありませんでした。でも都会から来る人には「何もないところですね」といわれます。まさに、都会と過疎地との中間なんです。あと書道をおやりの方はご存知かもしれませんが、日比野五鳳氏の出身地でもあり、年に2回だけ計2週間開館する美術館があります。

 私の一家(まだ私が産まれるずっと前ですが)はひょんなことから、両親ともに見ず知らずの神戸町へやってきました。見知らぬ土地でだいぶ苦労したようです。それに一般家庭なのに電話を引いたのも4輪の車を買ったのも我が家が地区で最初。また、乳児の頃の遊び相手といえば、まだ住宅が出来てなくて、近所の一歳年上の子だけ。妙にウマがあっただけに、彼が最初に保育園に進んだときは取り残された気分でした。でももともと長男としてワガママに育った私は一人で遊び続け、次第に一人遊びしかできない子どもになっていくのです。これが私の「変わり者遍歴」の初めでしょうか。なお、これより約10年後に我が家は町内の別の場所へ引越したため、現在の実家はこことは別の場所にあります。

2006年12月10日 (日)

はじめまして

 みなさん、はじめまして! いえ、中には初めてでない人もおいでかと思いますが。

 実は私、別にホームページと別のブログとを持ってます(ホームページについてはリンク参照。別ブログはホームページ内にリンクあり)。しかしこの2つは、私の必要に応じて立ち上げたもので、かなり堅い内容となっております。このため、私が別の方々のブログで自分のホームページやブログのアドレスを残しても、他の方々にコメントなどをつけていただけづらい感じでした。中には「相互リンクをしたいのでアドレスをください」とおっしゃった方もおられるのに、それからだいぶ時間が経つのにまだリンクが貼られていないケースまでありました。わざわざ足を運んでくださったでしょうに、その方に申し訳ないです。

 そこで、遅ればせながら、別にブログを立ち上げることにしました。今までの特定の目的に沿ったブログではなく、軽い話題ももちろん含んだ、自分が思ったことを自由に書けるブログにすることと、私がいわゆる大学時代に「総合科学課程社会文化コース」に所属していたことから、「総合ブログ」と命名しました。

 カジュアルさとジャンルの広さがあればな、と思っています。どうぞよろしくお願い致します。

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