「神戸」の紹介
きょうは、私が育った町についてご案内しましょう。神戸といっても、あのルミナリエの神戸市でなく、岐阜県の神戸町(ごうどちょう)です。そうそう、断っておきますが、私は生まれてから社会人になってしばらくまで神戸町で住民登録されてますが、生まれた場所は愛知県の母の実家近くですので、「出身は?」と聞かれると岐阜県というべきか愛知県というべきか迷います。
神戸町は岐阜県という単位でみると南西部にありますが、私の世代の感覚からすると、むしろ濃尾平野の北西の端近くといったほうが近いです。もともと美濃は文化が尾張に近いうえ、テレビやラジオの電波も名古屋と同じものが名古屋方面から届きますし、名古屋などの恩恵で過疎地でもないので、途中で県境があることのほうが不思議なくらいです。(平野を30分ちょっと走った一宮が別の県で、山奥へ2時間ほど入ったところにある父のふるさと郡上が岐阜県というのも感覚的には解せません。)面積はたった18平方キロ強、5キロ四方におさまります。人口は2万人ちょっとです。
皆さんは社会科で最澄(伝教大師)という人を習ったと思います。この人は平安期に新しい仏教を開き比叡山延暦寺の開祖となった人ですが、この人が東のほうへ旅立ったときに、今でいう神戸町エリアの有力者と出会い、この地の多くが荘園(これも社会科で習いましたね)として延暦寺に寄進されると同時に、いろいろな寺社ができました。(初めのきっかけは何でも、この有力者・安八太夫安次(あんぱちだゆうやすつぐ)の娘が重病だったのが、最澄が祈ったら治ってしまったことによるそうです。)これら寺社の中で、特に延暦寺の滋賀県側のふもとにある日吉大社の系列・日吉神社の門前町として明治の初めまで栄えました。
今でも神戸山王まつりという、松明に火を灯した人と計7つのみこしをかついだ人とが深夜などに走るという祭りが行われています。明治からつい最近までは4月13・14日に行われていましたが、今は5月3・4日に変更されています。この祭りと日吉神社は町のシンボルです。他に、関ヶ原の戦いの直前、家康が今の町内に入りかけたとき銃撃されたという噂が残っています(真偽は不明ですが、事実だったけど緘口令がしかれた可能性も)。
でもふだんの神戸町はもっと静かです。・・・というか、1970年頃までは本当にのどかな農村でした。でも、私が物心つく直前くらいに、土地改良とモータリゼーション進行があって、住宅が数多く建設され、大垣や岐阜市の郊外として大発展しました。いえ、郊外ですので自然も都会よりはけっこう多かったんですけど、私の小さい頃はあちこちでコンクリート業者による田んぼでの砂利取りがあちこちで行われ、のどかというわけでもありませんでした。でも都会から来る人には「何もないところですね」といわれます。まさに、都会と過疎地との中間なんです。あと書道をおやりの方はご存知かもしれませんが、日比野五鳳氏の出身地でもあり、年に2回だけ計2週間開館する美術館があります。
私の一家(まだ私が産まれるずっと前ですが)はひょんなことから、両親ともに見ず知らずの神戸町へやってきました。見知らぬ土地でだいぶ苦労したようです。それに一般家庭なのに電話を引いたのも4輪の車を買ったのも我が家が地区で最初。また、乳児の頃の遊び相手といえば、まだ住宅が出来てなくて、近所の一歳年上の子だけ。妙にウマがあっただけに、彼が最初に保育園に進んだときは取り残された気分でした。でももともと長男としてワガママに育った私は一人で遊び続け、次第に一人遊びしかできない子どもになっていくのです。これが私の「変わり者遍歴」の初めでしょうか。なお、これより約10年後に我が家は町内の別の場所へ引越したため、現在の実家はこことは別の場所にあります。

いつもごいんきょ様のブログでお世話になっております。m(_ _)m
自分の生まれた町をきちんと説明できる、とても良いですね。私はこのように説明できる自信はありません。
神戸町、地図で確認しました。大垣市の北、岐阜市の西ということで良いでしょうか?
私は北海道の栗山町に住んでいますが、いまひとつ印象の薄い町かな、と思っています。隣町が夕張市だけに。良くも悪くも知名度のある町ですからねぇ。(いささか不謹慎かなf^_^;)
子供の頃の様子も私と似ているかも。幼い頃(3歳ぐらいまで)は隣近所の子としか遊ばなかったし、学校に入ってからも友達は少なかったですが、特別に寂しいとは思わなかったです。
また、ちょくちょくお邪魔させていただきます。
投稿: 北国の人 | 2007年5月18日 (金) 17時06分