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NHK時計

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2007年1月25日 (木)

岐阜県人さん、ようこそ山陰へ

 BSS山陰放送の16日のニュースサイトによりますと、岐阜県の川上四郎さんご一家が、行政のUターン(とIターン)対策を使って鳥取市用瀬町へ移住してきたそうです。

 用瀬というともともとは八頭郡で、平成の大合併で鳥取市になったところで、毎年桃の節句には流しびなのニュースが全国に流れるところです。

 川上さんは九州などいろいろ候補地を検討したうえで、最終的に用瀬を選んだそうです。「一生のことだから」と慎重に検討されたそうで、その上で鳥取県を選ばれたとなると、岐阜県出身で鳥取県にいたことのある者として、エールをおくりたくなります。と同時に親身に接したという鳥取市も立派です。

 用瀬は山あいの小さな町ですが、鳥取市の市街地からもそう遠くないですし、道路も鉄道もわりと便利です。いい選択をされたのではないかと思います。

2007年1月22日 (月)

カーディフよ! ウェールズよ!

またもや大学時代の話。

 日曜に本屋をくるっと回りました。本屋に行くとときどき、ガイドブックの「イギリス」を手に取ります。

 大学1年と2年との間の春休みのこと。私の親がこう言いました。

 「去年はバタバタッと入学が決まったで、お祝いも何もしてやれなんだ。○○円相当くらいのお祝いをしてやりたいで、有効に使いーよ。」

 親は使い道の提案として車の購入も挙げましたが、私は前の年から募集していた、某外国人教師が募集していたイギリス・カーディフでの1ヶ月程の語学研修に使おうと思いました。車は確かに鳥取県ではかなり便利ですが、維持費もかかりますし、自転車で走り回っていた私にはそれで充分。それに、モノより思い出ですもんね(←そのCMは最近だろ)。第一、社会人になったらそんな長期に外国に行けないはずです。

 というわけで、2年の夏にイギリス・カーディフへ行きました。日本を経つ前の日にはテレビでフランス革命200周年の番組が流れてましたっけ。でもそのときはまだ鳥取にいました。夜行バスで大阪へ、伊丹空港に朝集合してロンドンへ。参加者は中四国じゅうから集まっていました。

 皆さんはカーディフをご存知でしょうか。学校で扱うかどうか微妙ですが、イギリスには4つの国があります。サッカーやラグビーの好きな人にはおなじみでしょう。その一つがウェールズで、たぶんイギリスの4つの国の中ではいちばんマイナーでしょう。イングランドはイコールイギリスみたいな扱いを受けてますし、スコットランドは観光地、北アイルランドはアイルランドと地続きで時々テロが起こるのでニュースに載ります。でもウェールズは地味ですし、イギリスの国旗ユニオンジャックにも唯一反映されてない国です(それはイングランドとの歴史を考えればむしろ誇りかも)。

 しかし、ウェールズは独自文化に誇りを持っていることは間違いありません。ウェールズ語は完全に息を吹き返した感がありますし、1997年にウェールズ独自の国会が作られてからはその度合いも増したと聞いています。また個人的には、ウェールズのシンボル・一角獣(ユニコーン)はちょっと親しみがありました。高校の英語の教科書はユニコーンでユニコーンの由来まで出てきましたし、ユニコーンというシンガーもいましたので。

 考えてみるとウェールズ語のある意味本拠地である首都カーディフで英語を学ぶというのも妙な話ですが、他ヨーロッパや中近東からも学びに来てました。会場のウェールズ大学カーディフ校では夏休みじゅう講座を開いてたようです。期間中、様々なExcursionにも参加しましたし(一度は集合場所を間違えて往路だけ自分で行ったことも)、それ以外にも徒歩や鉄道であちこち回ってみました。自分の足で英語だけであちこち行けるというのはいいですね。

 ホストファミリーは他の留学生とは違い、おばあさん一人でした。アグネス・ジェンキンズさんといいます。姓も名も聞いたことありそうですね。でもジェンキンズはやはり、例の拉致事件で有名になった姓でしょう。ちなみに彼女は、天安門事件の映像を見てterrible!を繰り返していました。彼女の好意でBBCのクロージングまで見られました。食事がオートミールばかりというのは閉口しましたが・・・。滞在半ばには、彼女の知り合いの真っ黒いプードルも預かってたので一緒だったんですよ。帰国後に残念なことに住所録を紛失してしまい連絡がとれないのですが、お元気でしょうか・・・。

 滞在中、やけに東欧の炭鉱でのストのニュースが流れるのです。イギリスだからかなーと思ったのですが、日本に戻ってからも続きました。それから間もなくベルリンの壁が崩れました。そうです、あれは東欧の社会主義国どうしのつながりの崩壊の序曲だったのです。資金に余裕がなかった私には無理でしたが、帰りに、フランス革命200年に湧くフランスや、「最後」だった西ドイツも回ってみたかったなーと思います(現に鳥取大学の学生で回った人もいました)。翌年にドイツからやってきた当時の仲間には「Congratulation for your country!」と言ってあげました。こちらの滞在中には、当時日本では全く話題になってなかったサッカーワールドカップの決勝を、彼が見たがったものの、放送したNHKの映りがあまりに悪く、「もういいよ」と英語で言われてしまいました。

 あまり大きな声で言えませんが、カーディフ滞在中に初めて彼女が出来たんです。岡山県総社出身で広島の短大生の日本人でした。この短大は数年前閉鎖してしまいました。

 この滞在以来、カーディフとウェールズのファンになってしまいました。ウェールズファンというのは、例によってイングランドよりウェールズという判官びいきにもピッタリという事情もあるのですが、実際に私が滞在してしまったのですから。なおカーディフは10年前から、ウォーターフロントの整備がされ、産業と観光に役立っているそうです。カーディフも変わったんですね。

 いやー、語学留学先まで判官びいきの変わり者にピッタリだったとは。

2007年1月21日 (日)

教育学部だけど教育学部じゃない

 以前は単なる内輪指向の反映じゃないかと思っていたmixiが、意外に面白いことが分かって、土曜にいろいろ探ってみました。すると、新しいコミュニティがいろいろ出来ていたので、思わず参加してしまいました。その中に、私の行ってた大学に関するものもいろいろありました。思わず、私と大学との関係に思いをはせました。

 高校に進んで、自分のやりたいことが具体的にコレといってなかった私でしたが、手先も人間関係も器用でなかった私、大学で研究することが私の性に合ってそうなことは何となく分かっていました。中学の頃面白いと思った英語も膨大な暗記をしないと職業には生かせなさそう。そんな中、中学の頃から興味を持ったテレビのネットワークのことは面白いなあと思う一方、まだ当時の共通一次で必修だった「現代社会」の資料集に載っていた『「いき」の構造』の一節の日本人の精神文化を読んで、個人と集団との関係を学ぶのも面白そうだと思いました。どちらにしても、進む先は社会学のあるところということになります。都市、農村など、社会学のどの分野も外れはなさそうに思いました。よし、社会学を目指すことにしよう。大学によってやれる範囲とそうでない範囲があるから、入れた大学で何をするか決めよう。これなら、当時既に人気のあった心理学とも一線を画せる。既に「みんなと同じ」はイヤだった私はそんなふうに思ったのです。

 そうはいっても、中1の夏から勉強なんて全くしてない私。とうとうそのまま大学入試を迎えてしまいました。成績は高校に入って低値安定のまま。それでも私立のA大学とT大学は受かってしまいました。そこで入学手続きをすれば現役入学になったのですが、新設で共通一次を課さないところを含め、4つの国公立を受けることにしてた私。ひたすら自分を責めてたわりに、どこか受かるんじゃないか、と思い手続きしませんでした。そのまま一浪するハメに。しかしサボり癖・・・本当は自分で自分を肯定できなかったのですが・・・が祟り、今度は全滅。失意の中、自分の怠慢を親から散々責められ考えた挙げ句、二浪することになり、一浪のときとは違う予備校に入学申し込みをしました。そして入学まで、今度は地道に勉強しようと学び始めたのです。

 ところが、数奇な運命が待っていました。

 前年から始まった各地の教育学部の「ゼロ免」。この年(1988年)は大量に新設となり、うち3大学では4月に入試をすることになったのです。私は親に頼み込んで、受験科目も考えて第2希望と第3希望の2大学を受けさせてもらうことにしました。第2だと社会学が学べるとあります。第2は4月10日受験、20日合格発表、第3は確か14日くらいの入試で発表は19日でした。20日に合格できなければ二浪確定で、予備校に「大学に合格したから授業料を返してくれ」というのもこの日が締切でした。しかも、4月に入ってからの私大型教科の入試、しかも今に比べればまだはるかに学費の安かった国立大学の入試とあって、相当に高い倍率。後で知ったのですが、東京の某有名私大を落ちた人も受けに来てました。親も私も受かると思ってませんでした。

 ゼロ免とは何でしょうか。教育学部は教員を養成するところが大半です。そういう「教員養成学部」では別に教育のことばかり学んでいるわけではなく、むしろ逆です。教科に関連する学問分野を学んだ人に、教員の素養をつける、という通常の教職課程と全く同じ考え方でやっているのです。これは戦前、教師の教え方も教員養成の方法も鋳型にはめるようなやり方であり、あげくの果てに戦争にまで協力してしまったため、物事を客観的にとらえる大学で教員養成をやろうということになったためです。そういう教師の話ならたぶん子どもにとっても面白いはず、という目論見もあったのでしょう。

 したがって、教育(学)や関係分野の学問分野の教員はむしろ少数で、例えば社会科なら政治学、経済学、哲学、倫理学・・・など、教科に関連する学問分野の人がたいがい一通り揃っています。ということは例えば、教科の枠を取っ払って学ぶようなところをつくれば、学生は幅広く学べることになります。少子化で教員の需要が減るといわれた教育学部では、いろいろな方法で自分の学部の資源を生かして、おカネをかけずに教員以外への進路を切り開こうとしていたのです。実は文部省が後ろで操っていたのですが。

 4月20日。予備校に行き始めて3日目の昼、自宅から電話がかかってきました。「鳥取大学に受かったんやと!」 そう、二択で行きたかったところに受かったのです。入学式は23日(土)で、25日(月)からもう授業を始めるとあります。早速予備校の午後の授業はキャンセル。教科書を全部返せといわれたので返したうえで、ギリギリで授業料が返ってきました。その日のうちに引越し準備を済ませて、21日にレンタカーのワゴン車で慌しく鳥取へ出発。その日のうちに大学の紹介でアパートを紹介してもらって荷物を置き、奇跡のように近くにあった民宿で一泊。翌22日、親は帰っていきました。

 こうして私は鳥取大学で縁あって4年間過ごすことになったのですが、困ったことが起きました。そうです。私は別に教育学部だから入学したわけではないのです。もともと私はパンフレットを見て社会学が学べそうだから入ったのですし、カリキュラムを見ても幅広く学べるという看板に嘘はありません。しかし、周囲はそうは受け取ってくれません。

 特に就職のときは困りました。教育学部出身であることを知ると、相手は怪訝な顔をするのです。中には「教員になろうとは思わないのですか?」と聞いてくる人もいました。NHK鳥取が総合科学課程の進路を取材し、同級生が就職活動の様子の取材を受けているのですが、ナレーションが「(企業側が)どうしても教育学部のイメージを引きずってしまう」と言っていたのがとても印象的でした。

 小さい頃から自他共に認める変わり者である私、まさか最終学歴(もっとも、その後放送大学で学んだのですが)までいちいち説明しないと分かりづらいような変わったところになるとは思いませんでした。でも、変わり者がアイディンティティだと思うと誇らしいような気もします。けれどその一方で、例えば性別のらしさが社会学と生物学とで違うような「物事は表面的にみてはならず、複眼的にみなければならない」という学んだ成果は、肩書きという意味でも強く思うようになったのでした。

<余談>放送が好きな方へ。私たち総合科学課程はこんなわけで、他課程(他学部でいう学科だと思ってください)や他学部の学生の教養部(←って分かります?)での授業に途中から参加することになったのですが、一緒に第二外国語のドイツ語を受けていた養護学校教員養成課程の学生さんたちは既に2回授業を受けていました。そこで通算3回目の授業は、まず全くの初心者である私たちが前半50分で養護の過去2時間分を受け、50分を経過したところで養護の学生が参加するという変則的な授業になりました。いわば私たちがフルネットで養護が飛び乗りというわけです。こんなところで放送の知識を使えるとは、と当時一人でほくそ笑んでいました。

2007年1月20日 (土)

松鶴屋千とせさん

ずいぶん間を空けてしまい、申し訳ありません。

 さっき、全国ネットのテレビで松鶴屋千とせさんが出ていました。

 この人のことを知ってると年齢がバレてしまいますが・・・ そのむかし、「イエーイ。俺が夕焼けだった頃、弟は小焼けだった。(中略)分っかるっかな~、分っかんねえだろうなぁ~」と、大人が聞くとつい噴き出してしまうようなギャグで一躍、一世を風靡した芸人さんです。といっても、さっき芸と名前が一致したばかりですが・・・。流行した当時小学生だった私は、本当に「どうせ分からないだろう」てな意味だと誤解してまして、親がこのネタを振ってくると「分かんねーわ!」と言い返していました(笑)。15年くらい前にはNOVAのCMにも出ておられましたね。

 私は個人的にコミュニティ放送(市区町村を対象とした免許制のラジオ放送。FM波使用)を応援しているのですが、氏は東京のかつしかFM(かつエフ)にも出演しておいでです。レギュラー番組のほか特番も出演されることがあって、ラジオを聴いているとスポットCMで「松鶴屋千とせ、でーす!」とPRされてるのがとても印象的でした。とはいえ、東京を離れてもう6年になるのでかなり前の話になるのですが。それに、私自身は「きしゃぽっぽ」を聴きに行ってたときにたまたま耳に入ってきただけで(だからコミュニティ放送を応援してるわけじゃないですよ)、レギュラーを聴いたこともないんですけどね。エリアである葛飾区やその近辺に住んでたわけでもないですし。

 その千とせさんと氏の芸風がついさっき一致して、「あの人だったのか!」状態になっております。もともと芸能界に疎い私のこと、どうか許してやってください。

2007年1月 9日 (火)

最上川

相方のきょうの一言。

「最上川でぶつかったんだって!」

・・・おいおい、それを言うなら、最上川「が」ぶつかったんだろ。

最上川はタンカー入れるほど広くないぞ。

広かったらあの船下りの風情はないぞ。

と、ツッコミ入れた私でした。

2007年1月 7日 (日)

神戸町に行ってまいりました

 いろいろあって正月にできなかった帰省を、7日にやってきました。

 住んでいる名古屋を朝に出発。と同時に小雪がちらつき始め、あっという間に横殴りに。名古屋駅からのJRは定刻通りに出発したのだけど、踏切で減速せざるを得ないみたいでだんだん遅れていきます。それでも大垣からの近鉄電車に予定通り乗り継ぐことができ、しかもこちらは定刻運転。

 そういえば大垣より北の近鉄沿線から名古屋へ出るとき、以前は桑名を回って近鉄だけで乗り通したほうが、時間はかかったけど安かったんですよね。でも近鉄の度重なる値上げと養老線加算運賃が相まって、今やJR経由のほうが安い。実は岐阜で切符を買い直すともっと安くなるんですけどね・・・。

 最寄り駅には父が車で出迎えてくれました。しかも飼ってるチワワの一匹もお迎え。こいつは人懐こい。もう一匹は人慣れしないけど、ようやく最近親近感を覚えてくれたみたいで、実家に帰ると盛んに吼えて歓迎。でも人間が食べ物をくれそうなときだけは後者も人懐こいんだよな・・・。

 互いに近況を報告。父の実家が郡上にあるけど、東海環状道が出来たら早くなるだろうな、などと夢想し合う。でも10~20年くらい先の話だろうねえ。でも面白みからいったら下道なんだよなあ・・・。なに?地元の小学校が児童の帰りをバスで送るようになった? 山間部でもないのに? 長浜の事件とかあったからかなあ。

 あっという間に昼。雑煮が出てきました。濃尾平野の、すまし汁にもち菜(小松菜)と鰹節と餅が入っただけのシンプルな雑煮。そういえば岐阜県外でもけっこう神戸町産小松菜って見かけるんだよねぇ。実家独特の味といわれるカレーまで出てきました。雑煮とカレー・・・。最近めったに見かけない大粒の梅干もいただきます。

 それから母が、ここ数年はまっている俳句の新春句会があるということで岐阜市へ車で出発。何なんだろう、会場のドリームシアターって?  で送った後、父と共に、同じ岐阜市内に住む弟のところへ行きます。結婚してる弟宅では昨年待望の赤ちゃんが誕生。父は初孫がかわいくて仕方ない様子で、「もうやめとき」と言いたくなるほどベタベタ。私も子どもと動物には目がないんですけどね。

 岐阜市内はまだ市内電車のレールが残ってる箇所が多かったですね。ドライバーにはレールが邪魔でしょうがない模様。確かにあれは滑るけどね。LRTで復活させようという動きが関にあるけど、果たして車組を説得できるかどうか。それからシティタワー43が遠くからやたら見えました。今まで金華山がランドマークだった岐阜市で新たなランドマークになりそうな予感。岐阜放送も今年秋に移転してくるし。

 平野庄橋が整備されてから、西美濃だけでなく岐阜地域へも便利になって四半世紀を超えた神戸町。少子化と交付金削減で大変みたいだけど、ロケーションは悪くないんだから、閉鎖性を捨てればもっといきいきするんじゃないか。合併が消えたばかりの昨年とは違って、そういう自覚を持ってしっかり歩んでほしい、と思った年頭でした。

追伸 いまFNNの全国ニュースで、同じ安八郡の安八町の人が遭難といってます。ただ安八郡の他の町ってみんな大垣の東にあるから、方向も環境も全く違っててあんまりシンパシー感じないんですよね・・・。

2007年1月 5日 (金)

YAHOO!動画のアニメ

 昨年のある時期から、YAHOO!動画を見るようになりました。見るのは専ら昔のアニメ。最初は「とんでも戦士ムテキング」「ゼンダマン」くらいだったが、最近はゼンダマンはご無沙汰、ちょっと前は「カバトット」「一発寛太くん」「マッハGOGOGO」を少しだけ見、ここ数日は「いなかっぺ大将」を欠かさないようになりました。不思議なことに、ジャンルを絞ってないのにタツノコプロのものが圧倒的に多いんです。

 どのアニメも大人になって見返してみるとなかなか奥が深いんですが、1968年生まれの私にとって物心ついた頃に見た「いなかっぺ大将」はいま見返してみると、意外にも私の価値観を醸成したのではないかと思います。地方がどういうイメージでみられているか(デフォルメはあるにしても)、男の多くが男らしさをある程度求めているけれどそううまくいくものでもないこと、男からみた女性のイメージ、ギャグのセンス、変わり者の生き方、どれもモデルになっているように思えます。ストーリーは全くといっていいほど覚えていないのに。

 今の私と違う点といったら、躊躇なく精進できるところ、あと他者の目を過度に気にしないことでしょう。これは大ちゃんが羨ましい。

 しかし、柿木先生って夏目漱石に似てますね。もともと野良だったニャンコ先生(意外にも4話からしか出てこない)が伊予弁を話すのも、家主が漱石に似てるからでしょうか。

2007年1月 2日 (火)

見直したNHK

 皆さんは大学で「メイダイ」というとどこの大学を思い出しますか? 関東の方は「明大」つまり明治大学を思い出すと思います。東海地方では「名大」つまり名古屋大学でしょう。関西でもメイダイというと名古屋大学を指すようですので、東海ローカルというわけでもなさそうです。

 そのせいか、全国大学ラグビー選手権に明治大学が出てくるときは、NHKの中継では「明大」でなく「明治」と表現されていました。安易に東京の見方を全国に垂れ流す放送局が多い中、このときは「さすがはNHK!」と思ったもんです。

 きょうの番組表に全国大学ラグビー選手権の中継が入っていたので、そんなことを思い出しました。ちなみに今年は明治大学は準決勝以降には残っていないようです。ラグビーといえば、ちょっと前まではTBS系と独立Uとが制作・放送してた高校ラグビーもありましたが、住友生命がスポンサー撤退してからは放送される試合が激減しました。

2007年1月 1日 (月)

広島県と宮城県

えーと、このブログではけっこう、地域を越えた話が好まれるようで・・・

 標題の2県ですが、私には似てるように思えますがであまり比べられないですね。

 どちらもブロックの中心ではありますが、結束力の強いのは断然東北。広島市は広島県ですら求心力がないように思えます。それは広島市以外はせいぜい福山近辺くらいにしか平野がないわりに県域が広いこと、広島市が県内で西に偏って位置してることが原因ではと思います。この点仙台のほうがすわりがいいですね。むしろ宮城県のほうが、「仙台市に殆ど仕事を持っていかれかねない」と危機感を持っています。

 中国地方では岡山市が広島市と中心争いで張り合っている(中四国という意味では確かに中心にふさわしい位置)うえ、鳥取市は経済的には関西を、山口県は九州を向いており、実質バラバラといえましょう。わが中部といい勝負です。もっとも中部は定義次第でいくらでもエリアが変わりそうですし、北陸や三重県は関西を、長野県は関東を向いたところがあるのでやむを得ないのですが。

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