以前は単なる内輪指向の反映じゃないかと思っていたmixiが、意外に面白いことが分かって、土曜にいろいろ探ってみました。すると、新しいコミュニティがいろいろ出来ていたので、思わず参加してしまいました。その中に、私の行ってた大学に関するものもいろいろありました。思わず、私と大学との関係に思いをはせました。
高校に進んで、自分のやりたいことが具体的にコレといってなかった私でしたが、手先も人間関係も器用でなかった私、大学で研究することが私の性に合ってそうなことは何となく分かっていました。中学の頃面白いと思った英語も膨大な暗記をしないと職業には生かせなさそう。そんな中、中学の頃から興味を持ったテレビのネットワークのことは面白いなあと思う一方、まだ当時の共通一次で必修だった「現代社会」の資料集に載っていた『「いき」の構造』の一節の日本人の精神文化を読んで、個人と集団との関係を学ぶのも面白そうだと思いました。どちらにしても、進む先は社会学のあるところということになります。都市、農村など、社会学のどの分野も外れはなさそうに思いました。よし、社会学を目指すことにしよう。大学によってやれる範囲とそうでない範囲があるから、入れた大学で何をするか決めよう。これなら、当時既に人気のあった心理学とも一線を画せる。既に「みんなと同じ」はイヤだった私はそんなふうに思ったのです。
そうはいっても、中1の夏から勉強なんて全くしてない私。とうとうそのまま大学入試を迎えてしまいました。成績は高校に入って低値安定のまま。それでも私立のA大学とT大学は受かってしまいました。そこで入学手続きをすれば現役入学になったのですが、新設で共通一次を課さないところを含め、4つの国公立を受けることにしてた私。ひたすら自分を責めてたわりに、どこか受かるんじゃないか、と思い手続きしませんでした。そのまま一浪するハメに。しかしサボり癖・・・本当は自分で自分を肯定できなかったのですが・・・が祟り、今度は全滅。失意の中、自分の怠慢を親から散々責められ考えた挙げ句、二浪することになり、一浪のときとは違う予備校に入学申し込みをしました。そして入学まで、今度は地道に勉強しようと学び始めたのです。
ところが、数奇な運命が待っていました。
前年から始まった各地の教育学部の「ゼロ免」。この年(1988年)は大量に新設となり、うち3大学では4月に入試をすることになったのです。私は親に頼み込んで、受験科目も考えて第2希望と第3希望の2大学を受けさせてもらうことにしました。第2だと社会学が学べるとあります。第2は4月10日受験、20日合格発表、第3は確か14日くらいの入試で発表は19日でした。20日に合格できなければ二浪確定で、予備校に「大学に合格したから授業料を返してくれ」というのもこの日が締切でした。しかも、4月に入ってからの私大型教科の入試、しかも今に比べればまだはるかに学費の安かった国立大学の入試とあって、相当に高い倍率。後で知ったのですが、東京の某有名私大を落ちた人も受けに来てました。親も私も受かると思ってませんでした。
ゼロ免とは何でしょうか。教育学部は教員を養成するところが大半です。そういう「教員養成学部」では別に教育のことばかり学んでいるわけではなく、むしろ逆です。教科に関連する学問分野を学んだ人に、教員の素養をつける、という通常の教職課程と全く同じ考え方でやっているのです。これは戦前、教師の教え方も教員養成の方法も鋳型にはめるようなやり方であり、あげくの果てに戦争にまで協力してしまったため、物事を客観的にとらえる大学で教員養成をやろうということになったためです。そういう教師の話ならたぶん子どもにとっても面白いはず、という目論見もあったのでしょう。
したがって、教育(学)や関係分野の学問分野の教員はむしろ少数で、例えば社会科なら政治学、経済学、哲学、倫理学・・・など、教科に関連する学問分野の人がたいがい一通り揃っています。ということは例えば、教科の枠を取っ払って学ぶようなところをつくれば、学生は幅広く学べることになります。少子化で教員の需要が減るといわれた教育学部では、いろいろな方法で自分の学部の資源を生かして、おカネをかけずに教員以外への進路を切り開こうとしていたのです。実は文部省が後ろで操っていたのですが。
4月20日。予備校に行き始めて3日目の昼、自宅から電話がかかってきました。「鳥取大学に受かったんやと!」 そう、二択で行きたかったところに受かったのです。入学式は23日(土)で、25日(月)からもう授業を始めるとあります。早速予備校の午後の授業はキャンセル。教科書を全部返せといわれたので返したうえで、ギリギリで授業料が返ってきました。その日のうちに引越し準備を済ませて、21日にレンタカーのワゴン車で慌しく鳥取へ出発。その日のうちに大学の紹介でアパートを紹介してもらって荷物を置き、奇跡のように近くにあった民宿で一泊。翌22日、親は帰っていきました。
こうして私は鳥取大学で縁あって4年間過ごすことになったのですが、困ったことが起きました。そうです。私は別に教育学部だから入学したわけではないのです。もともと私はパンフレットを見て社会学が学べそうだから入ったのですし、カリキュラムを見ても幅広く学べるという看板に嘘はありません。しかし、周囲はそうは受け取ってくれません。
特に就職のときは困りました。教育学部出身であることを知ると、相手は怪訝な顔をするのです。中には「教員になろうとは思わないのですか?」と聞いてくる人もいました。NHK鳥取が総合科学課程の進路を取材し、同級生が就職活動の様子の取材を受けているのですが、ナレーションが「(企業側が)どうしても教育学部のイメージを引きずってしまう」と言っていたのがとても印象的でした。
小さい頃から自他共に認める変わり者である私、まさか最終学歴(もっとも、その後放送大学で学んだのですが)までいちいち説明しないと分かりづらいような変わったところになるとは思いませんでした。でも、変わり者がアイディンティティだと思うと誇らしいような気もします。けれどその一方で、例えば性別のらしさが社会学と生物学とで違うような「物事は表面的にみてはならず、複眼的にみなければならない」という学んだ成果は、肩書きという意味でも強く思うようになったのでした。
<余談>放送が好きな方へ。私たち総合科学課程はこんなわけで、他課程(他学部でいう学科だと思ってください)や他学部の学生の教養部(←って分かります?)での授業に途中から参加することになったのですが、一緒に第二外国語のドイツ語を受けていた養護学校教員養成課程の学生さんたちは既に2回授業を受けていました。そこで通算3回目の授業は、まず全くの初心者である私たちが前半50分で養護の過去2時間分を受け、50分を経過したところで養護の学生が参加するという変則的な授業になりました。いわば私たちがフルネットで養護が飛び乗りというわけです。こんなところで放送の知識を使えるとは、と当時一人でほくそ笑んでいました。
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