asahi.comによりますと、山形県の山形テレビ(YTS)は、7日夕のニュース番組で脳脊髄液減少症のニュースを報じた際、約1年前に山形新聞に掲載されたイラストと酷似したCGを作成、放送で無断使用したとして、8日に山形新聞に謝罪したとのことです。
山形テレビのやったことは問題ですから、このニュースの内容は至極真っ当なものですが、私たちのような「放送事情好き」(とはいえ、私の場合は地方局のあり方の考察といった度合いも大きいので、単なる趣味とはいえませんが)にとっては、この局の創立以来の歴史を考えると「アレレ?」と思えてしまいます。
日本では、テレビが始まって15年ほどの間、大都市圏以外では民放テレビは1局しかありませんでした。当時は1-12チャンネルしかありませんでしたから、隣接エリアや中継局のことを考えれば、チャンネルが足りなかったのです。1964(昭和39)年までに東京では民放テレビ5局ができましたが、地方には1局しかありませんから、キー局各局はスポンサーをひっさげて、自局の番組を1つでも多くの局に同時ネットしてもらおうとしてました。地方局も、今のように特定のキー局とべったりということもなく、だいたい1時間単位で番組供給元を変えていました。ABC社員だった岡村黎明さん(現・大東文化大学教授)は著書『テレビは変わる』(岩波ジュニア新書)の中でこの現象を「娘一人に婿四人」と評したものです。
しかし、やがてVHFの電波に加えて新たにUHFも放送に使うことになり、地方でも2局目(以降)が続々と開局しました。多くの地方局ではそれまで同様、キー局がスポンサーつき番組を供給してくれる限り経営は安泰ですし、キー局やその背後にいる新聞社も自社系列の局を増やしたかった時期ですから、地方有力者(県知事や国会議員など)と全国新聞が競って新しく割り当てられたチャンネルの社を作ろうと、いくつものダミー会社を仕立てて郵政省に届け出ました。どういうことかというと、出願が出揃った時点で有力者が、届出のあった会社をすべて合併させる(一本化)ように調整するのが常なので、合併後の会社の資本(=株主の発言力)が大きいほうがトクなんです。ただし、ある地域にいくつ放送局があっても、株主が同じだったりすると、戦前のように多様な声が反映されなくなるという懸念があるので、既存局の主要株主には他の局の主要株主にはなれないように配慮されています(マスメディア集中排除原則)。
山形県でもこうして、先発の山形放送(YBC、キー局日本テレビ)に加え、山形テレビ(YTS)が誕生します。YBCは山形新聞とグループを形成していたので、山形テレビは山形県庄内地方の有力者と朝日新聞・毎日新聞のグループが主要株主になりました。その関係で、キー局をNET(現・テレビ朝日)にする方針でした。
ところがです。山形県のドンといわれ、県政にも多大な影響を及ぼした、山新・山交(山形交通)グループ社長・会長を歴任した服部敬雄という人物がいました。彼は巧みに山形テレビに近づき、ついに開局前にも関わらず初代社長のクビを切ってまで、服部氏とフジサンケイグループの鹿内氏との個人的な仲により、一夜にしてフジテレビの系列にしたのです。山形テレビは結局、1970(昭和45)年の開局から23年間フジ系となり、また山形新聞の影響も強く受けるようになります。一度山形新聞系のイベント取材にYTSが遅れて取材できなかったとき、仕方なくYBCからテープを借りて(!)放送したものの、服部氏にバレて厳しく処分されたというエピソードまであります。
3局目・テレビユー山形(TUY)やFM山形が開局する1989年まで、NHK以外の地上波全部と地元有力新聞がまさに山形新聞によって牛耳られたわけです(TUYは開局後だいぶ経ってから、山形新聞の影響下に置かれます)。70年代終わり頃から、YTSの毎日新聞系株主が朝日新聞系に株を譲渡したこともありましたが、時を同じくしてYTSの朝日系の番組がYBCにどんどん移っていきました。これは朝日新聞グループの発言力をYBCとYTSとに分散させることで、服部氏と山形新聞の影響力を弱めないようにしたとみられています。おかげで何と、YBCでその分はじき出された日本テレビ系の一部番組がYTSでネットされるという奇妙な現象が、10年以上も続きました。
やがてバブル時代を迎えます。かねてから「地方局は衛星の上がる将来、炭焼き小屋になりかねない」といわれていたことで、YTSはバイオ事業とハリウッド映画制作事業に乗り出し、放送以外の収入を得られるよう試みました、放送局は当時右肩上がりの最たる産業でしたから経営計画が甘く、十数億円の巨額な損失を出しました。まもなくバブルも崩壊します。
この頃の1991年、服部氏が死去しました。するとYTSの株主たちは、「経営再建のため、朝日系に乗り換えよう」と言い出しました。YTSの社長交代もあって、結局この株主の言い分が通り、1992年秋、YTSは自社でフジ系離脱を決定し、1993(平成5)年4月1日から朝日系として始動したのです。
昨年現在のYTSの第3位までの株主をみると、山形新聞社は入っていません。もしかすると朝日系移行と同時に、YTSは山形新聞の影響を大幅に減らしたか断ったのかもしれませんね。
今回のニュースを見て、かつてのYTSであれば、山形新聞にとってYTSなんて身内同然だったでしょうから、抗議というほど大問題になったかなあ、と思ったのです。コレが言いたくて長々と書いてきたんです。ふぅ。
・・・しかし言論封殺が密かに行われているとなると、ホント怖いものがありますね。
参考文献(文中で紹介したものを除く)
『2000年のテレビジョン』(角川書店、1993)
『テレビ業界の舞台裏』(小田切誠著、三一書房の三一新書、1994)
http://www.mizuhocbk.co.jp/fin_info/industry/sangyou/pdf/1002_105.pdf (PDFファイルです)
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