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2007年4月 2日 (月)

岐阜県って元々は何?

 皆さんはタイトルのような問いを出されたらどうお答えになりますか。「社会が苦手なんだから、地元のことだって知らないよ!」てな方もおいでかもしれませんね。

 そういう方のために申しておきますと、ふつう美濃と飛騨とされています。この2つの国が今の岐阜県域を形成しているといわれています。

 しかし、物事には例外があるものです。岐阜県には実は、信濃国と越前国が含まれているのです。『日本分県地図』や『日本地名大事典』等ならその点も詳しく載っています。

 東海地方の方なら、前者については「ア!こないだ合併した山口村のことでしょ?」と思われるかもしれません。何しろ半世紀ぶりの県を越えた合併といわれ全国でも取り上げられたこともありますので。

 でも、これでは私にいわせれば50点です。その理由は、なぜ山口村が岐阜県になる道を選んだのかを考えれば、自ずと明白です。そう、山口村だった地域の一部が49年前、岐阜県に合併しているからです。

 この地域は神坂(みさか)地域といいます。昭和の大合併のときにこの地域は、岐阜県への合併派と長野県残留派に分かれて激しく対立し、血みどろの争いになりました。結果的に地区内に県境がしかれて県境が確定したものの、神坂小学校は長野県側と岐阜県川とに分かれ、どちらの県に住んでいるか関係なく住民が行きたいほうの学校に子どもを通わせていました。これは平成の大合併まで続いたんです。郵便番号も長らく長野県側の番号で設定されており、郵便番号簿を岐阜県側でみるとここだけ番号が飛んでいました。なお神坂村は、岐阜県側に入ったほうは中津川市になり、長野県に残ったほうはすぐお隣の山口村と合併して新たな山口村になり、その一部に収まりました。

 平成の大合併の嵐が来ると、山口村のうち旧山口村だった山口地区からみても眼下に中津川市(後に山口村と共に合併した岐阜県坂下町を含む)にみえるような地理的状況であるうえ、付近の求心力のある地域が中津川であることから、山口村ごと岐阜県中津川市に合併しようという話が持ち上がります。もちろん、「神坂問題」に決着をつける意味もありました。しかし双方の派に憶測があり、話し合いは難航します。結果的に山口村の村長の言い分が通った形になり、山口村は岐阜県へやってきたのです。地元では、例えば農協の出荷方法など諸システムが異なってくるので、いろいろ苦労があったようです。

 よく「島崎藤村で有名な馬籠宿が岐阜県になるのはどうも違和感・・・」という話を聞きます。そんなとき、私だったらこう申し上げたいところです。確かに馬籠があった山口村は岐阜県になった。でも、岐阜県になったって、もともとの神坂村全体を含め、中津川市山口地区は美濃ではなく信濃であり木曽なんだ、と。現住所は現在の生活を反映したものになっても、それで信濃や木曽だった伝統までが変わるわけじゃないんだよ、と。どうしてこういう視点で語る人が少ないのでしょう? 岐阜県になったら美濃(や飛騨)になるわけじゃあるまいし。

 もうひとつの「越前」は、今の郡上市白鳥町石徹白地区です。ここや旧徳山村もそうですが、地理的に行き当たりというか突き当たりになったところは、文化的にもふきだまりになっているようで、独特の文化が残っています。

 合併前の石徹白村は、『白鳥町合併二十年史』によれば、歴史的にも文化的にも近い白鳥町と合併したい、ということでしたが、白鳥町時代に役場に勤めていたある人は「岐阜県であるほうが、雪や交通等を考えると県庁に行きやすいからでは」と語っていました。なるほど、当時越美北線は勝原にも到達してない一方、越美南線はすぐ近くの北濃まで来て20年以上経ってますし、まだモータリゼーション到来前の話です。

 山口村と同様、石徹白村でも反対運動が起きたといいますし(ただし血みどろだったかどうかは不明ですし、先の合併二十年史によれば賛成派が多かったといいますが、地方自治体の史書は今の地元に都合よく書かれがちです)、福井県議会は合併反対でした。しかし、総理府裁定で岐阜県入りが決定しました。

 実は、この石徹白と神坂の合併は、同じ文書で決定通知がなされ、同一の期日に合併となったのです(先の二十年史による)。

 私は地域も個人も、小なるものをまず尊重するところから始めるべきだと思っています。ですから、いかに岐阜県の大多数が美濃や飛騨であっても、越前としての石徹白、木曽や信濃としての山口村は尊重されるべきであり、それらを含めての岐阜県なのだと思っています。岐阜県在住者や出身者も忘れがちなことですが、心しておくべきと考えます。

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コメント

ぃぃブログです

mifuさん、はじめまして。遅くなりましてすみません。
 お褒めいただきありがとうございます。ブログとして話題の一貫性があるわけでもないのですが、こんなふうに「メジャーさえよければいい」ということに対する反発が多いかなーと思います。またいらしてくださいね。

私も旧神坂村の件は去年本か雑誌で知りました。
旧神坂村の住民にとって再び一つになるというのが長年の
悲願だったそうですね。長年のわだかまりが消えて本当に
良かったと思います。
「島崎藤村で有名な馬籠宿が云々」というのは確か中津川市への編入直前になって前長野県知事が突然言い出した話だった様に思います。それまでは市町村合併賛成派と思われていた前知事が突然山口村を引き合いに出し市町村合併反対を唱え出して(前知事が書き下ろしている「日刊ゲンダイ」の定期コラムにも「過去の歴史・伝統を踏みにじる市町村合併」みたいな事まで書いていましたね・・・。
私としてはこの件が長野県民に「認識不足」「スタンスの揺らぎ」と受け止められた事も昨年の県知事選に落選した大きな要因の様に思っています。
そもそも長野県は各々の盆地内が生活圏で他の盆地との
交流はほとんど無く県としての一体感に欠けるとも言われていまして・・・。
これは私見ですが長野県民に県歌「信濃の国」が広く知られているのは、県としての一体感の無さを何とか払拭しようと県関係の方々が県中の小中学校や職場とかに広めた
結果だと思うんですね。
長野県を大きく分けても松本では「長野県」という呼び方を
嫌って「信州」という言い方をされる事が多い(「ズームイン!
朝」のテレビ信州(松本に本局)絡みの中継の際、「長野」
と「信州」と2通りの言い方をしていますよ。ちなみに前知事の父親は信州大学(本校舎が松本)の学長だったそうです)ですし、飯田を中心とする県南部に至ってはほぼ完全に
名古屋の経済圏となっていますし・・・。

実は私、今回の合併の1週間前に馬籠に行ってきてある方にお話を伺ったのですが、その方がこで半世紀前の合併がいかに血みどろだったかを語ったうえ、「旧山口村の村長は合併に有利な情報しか流さず、合併しないと大変と煽る」とおっしゃったので、私は「神坂が一つになってよかった」とは率直に言えない気がしました。もっともその方は、「再び神坂が一つになるために、合併が決まった以上は反対しない」ともおっしゃっていましたが。
 私としては、新しく岐阜県にお迎えする方々に対し、岐阜県出身者として歓迎の意を表そうと思ってたのですが、それがいかに浅はかだったか思い知りました。
 田中元知事はもともと「市町村の将来は市町村が決めること」というお考えで、それが合併に反対しない姿勢につながっていたと思うのですが、おそらく「長野県を空中分解させても構わないのか」という批判が来て、抗し切れなかったのか考えが変わったのかで態度を変えたのでしょうね。でも、長野県って、TXの無いテレビなんて・・・さんがおっしゃる通り、本当は空中分解しているところを「信濃の国」で無理やりつなぎ止めてるようなところがありますからね。そう思うと、いかに県域という考えがバカらしいかよく分かるのですが、愛知県のように「比較的」まとまっている(尾張VS三河はあっても求心力はある)地域の人間には分からないのでしょう。
 地域の見方はその地域に住んでいる人の見方抜きには語れませんね。でも全国ネットのニュースって、地方発のニュースも局舎所在地(たいてい県庁所在地)主義というフィルターがかかってます。東京の連中ってそこまで見抜けないのでしょうか。

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